1月19日木 

寒くなったので・・・外の写真が無くなってきた

来週あたりから寒波がやってきて

また、雪の写真が出て来るかもかも🐤

昨日は、茶道のお稽古であった・・・

年配の方が多かった・・・

昨日は、お稽古が終わり、昼食を一緒にした

私は新入りなので、出身県を述べ合った( *´艸`)

私奈良、山口、広島の出身の方だった・・・

そうすると・・・戦争時代の頃のお話に・・・

戦争中、師範学校に通っていた17歳だったころの話や・・・

戦争中、3歳であった、広島近郊在住だった方の

広島に原爆が落ちた当初のお話・・・やら・・

現実のお話を聞くと、今では到底信じられない・・・

当時17歳であった女性は、師範学校から学徒動員へ工場の名古屋や栃木と

色々回り・・・、広島の原爆が落ちた翌日に広島近くの駅で電車を待つも

なかなか電車が来ず・・・広島を通って・・・山口県に戻ったそうだが

その、原爆付近を通り、歩いて帰った光景は阿鼻叫喚そのものだったそうだ

途中、空襲警報が鳴るたびに、防空壕に入り避難するも・・・

死人、死にそうな人、避難民と居たらしく・・・

川は水を欲する人、死人で川が見えなくなっていたそうだ・・・

その場所を通ると昔の事を思い出し・・・許せない気持ちが蘇るという・・・

戦争中、学徒動員が発令し師範女子学校の生徒は有無を言う事なく

お国の為に二度と故郷の地を踏める事など考えず・・・

ただただ・・・心に秘める思いがありつつ、動員へ旅立ったという

が、急に、工場から動員を解く知らせとともに故郷に帰れる事になったそうで

広島原爆の1日前に関東から山口に帰郷する学徒動員が目にした

広島原爆投下された翌日の広島を・・・(危機一髪で原爆を免れていた)

広島の惨劇・・・をのりこえて、帰郷した女の子達・・・

親も子が生きて帰ってくるなんて思わずに、

夢をみたか、キツネにつままれたような顔

で、驚き、喜んだという・・・

17歳の少女が過酷な経験をしたのだ・・・

今なら考えられない・・・

今の世も過酷とは思うのだが・・・(死人をゴロゴロ見る事はないだろう)

戦後、高度成長になった日本は豊かになり、

豊かな思いも経験されたとも思うけれど・・・

コロナというこの世も経験されたが・・・

コロナとは比較しようもなく、戦争中は恐かったとおっしゃっていた・・・

が、おくびにもそんな風情を出してはいけないし、出せなかったそうだ

日本全体の空気がそうさせていたのだろう・・・

戦争は絶対、起こしちゃ、起こされてもいけない・・・

実体験を聴くと・・・本当に戦争だけはしちゃいけないと

心から思う・・・

今となっては、あっさりとお話しくださっているけれど・・・

 

ロシア・ウクライナもあの頃と同じ経験を今しているにちがいない

 

戦争の無い地球をどうしたら実現できるのだろうか?

戦争が起こる真髄?は生存競争?金?なんなのか・・・

今年、G7が広島で開催される・・・

原爆ドーム・記念館を見学した後に開催してほしい・・・

強く、訴える事は何かの意味がある・・・

先に観光してもらうべきだ・・・

人間であれば、何かを感じるはずだ

その意味は大きいと・・・

茶道をしていると、老若男女年齢関係なく集まる・・・

そして、一碗の茶とお菓子をいただく・・・

幸せだなぁ・・・平和だなぁとしみじみ・・・

美味しいお茶を皆で頂く事の幸せ

そんな日本、地球が持続しますように・・・

昨日は、また、貴重な日でした

おはようございます

今日も日本は戦争もなく

極寒の冬がやってきそうですが

こころ暖かく暮らせますよう

平和に暮らしましょう

人間にとって何が大事?

「命」の大切さを

改めて、考えましょう

今日のひと日も感謝して

感謝して・・・

ありがとうございます❤

 

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