5月18日日

堺探訪パート3 
お天気よく・・・サイクリングの五月・・・・
「鉄砲鍛冶屋敷」

住宅と江戸時代からの鍛冶屋が入り混じった町並みに同化している・・・
写真を撮りたいが、道が狭くて全景が撮れない・・・・

榎並屋勘左衛門(えなみや かんざえもん)。
江戸時代の5鍛冶のひとり。代々続く鉄砲鍛冶の家に生まれ、家業を継いだ。徳川家康江戸幕府を開いた時、御用鉄砲鍛冶として重用された。


晶子の碑が・・・
「住の江や和泉の町の七まちに鍛冶の音きく茶の花の路」

「清学院」=寺小屋

江戸時代から明治時代に寺子屋であった。ここで学んだ有名な日本人に 河口 慧海(かわぐち えかい)1866年2月26日がいる。黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家でチベット山脈を制覇した。本に「チベット旅行記」がある。
「山口屋住宅」庄屋

関が原の夏の陣より来年で400年となるそうだ・・・
というのも、夏の陣の時、堺の町の資産がそっくり徳川に手渡る事を逃れるために、大阪軍、堺の武士がこの町を全て焼き払ったという。
後に、徳川家がこの町を綺麗に区画し再生したらしい。
山口屋は昔庄屋であって、江戸時代から再建されたので約400年の歴史の建物となる。

広い土間である。鯉幟は泉州名物木綿でできている。
金太郎の乗っているものが独特だという。
この辺りの川原では菜種を育て油を採っていたので花田という地名もある。

五月人形が立派


四畳半の茶室

立派な床の間には山口家の掛け軸が・・

堺の商人の富豪ぶりをうかがわせる屋敷でした。
昔は今の高速を挟んで海側が堺の町で大和川より土居川の範囲で今の8割程度が堺で堀でかこまれていた街だったようです。
今日は旦那と堺探訪しました・・・^^;
妙国寺」も見ておいたほうが良いと薦めたので見に行ってました。
・若葉して飛翔の如し鳳尾蕉(ほうびしょう)・・・夢華
鳳尾蕉=蘇鉄