8月12日土

今日はお盆真っ只中。
今日は堺「利晶の杜」で千家十色の
「楽」家15代 吉左衛門さんがいらしての講演会がありました。

今年、2月に京都での展覧会に伺ったので、
ぜひ、15代目の方のお話がお伺いしたかった。
京都の展覧会では楽美術館やそれ以外の楽を初代から集めての、
16代までの錚々たる作品が見られた。
かなりの労力と思うが、それを実現した力量は図りしれない。
実際の人物像は、激しいエネルギーに満ちた人というよりも
落ち着いていて穏やかで優しそうな印象でした。
が、魂はものすごくエネルギッシュな人なんだと。
精力的な活躍とは少し違って、穏やかな印象でした。
お話も、待庵と利休から入って・・・茶室の宇宙へ・・・
そして、茶碗の宇宙へと・・・・

想像を掻き立てられながら、楽しくお話が進む。
昔話を聞くように想像しながら・・・
歴代の話も血脈が流れているだけに
すべてに納得させられる。
↓「楽歴代」という本を買った。1〜16代の作品が掲載され、

いろいろな解説が興味深い。

↑↓15代吉左衛門

↑皪釉「梨花
余談ですが、私はこの「皪」という白を意味する字が好きです。

↑初代長次郎作、唐獅子・躍動感が半端ありません。活き活きと。
↑図鑑からの掲載
唐獅子の鼻が楽家のシンボルだなんて、
笑いを誘っていらしたが、
この、如何にも生きているような作風の力強い獅子とその鼻は
活き活きとしていて、楽家の今までも本当に象徴しているようだ。
お話には本当に聞き入ってしまった。
嘘も裏もない、実があるからこそ、淡々とした話に聞き入っていた。
現代15代の吉左衛門さんの作品展で、
鑑賞者は心にもなく、
これでお茶が飲めない、茶杓が乗らない、茶巾でふけない。お茶が点てられない
という言葉が出るそうであるが、
今日の講演を聞くと、楽家の誰よりも歴史を勉強し研究し、知り、人々に
わかりやすく伝える人は居ないと思うと同時に、
この作品には、15代全部の作風とそして、
吉左衛門さんのアバンギャルドな世界、宇宙があるのだと解りました。
3代目の「道入」だって、昔ならアバンギャルドと呼ばれていたかもしれません。
想像してみてください。ピカソなんぞも・・
私は11代慶入の「潮干」貝貼浮文白楽茶碗を幼き頃に見て忘れられない。
さて、15代のあのお茶碗で空想してお茶を飲んでみてください。
きっと美味しいお茶が飲めるのだと・・・。
空想で飲む茶碗。実際に飲む茶碗。
どちらもありだと、あるような気がしました。
待庵の宇宙でこの斬新なお茶碗を置き空想してみる、そんな「美」があるような。
私たちの宇宙には何がこの先起こるかわかりません。
夢があるような気がしました。
頭が固い私でしたが、もっと自由に心遊ぶ場所こそ茶にあると思いました。
しかし、あの茶碗には太古の土のにおい、木の幹の感覚、火の勢い、
自然や宇宙をとても感じるのです。
頭を柔らかくして、優しく、楽しく、自由な世界を得たような気がした
講演会でした。
本当に楽しい講演会で、ファンにもなりました。
今日の講演を聞いた私の感じた事なんですけれど・・・。失礼・・・
I shut my eyes in order to see. 私は見るために目を閉じる。
By ゴーギャン・・・。ふと思いました。
さて・・・ところで、私の今の疑問・・・
茶道での濃茶・・・濃茶茶碗はたいていは楽茶碗であるが、御本茶碗、高麗茶碗、瀬戸黒、志野唐物、唐津、萩、美濃あたりの古いものだったら基本的に濃茶碗として大丈夫?新しい茶碗は?濃茶茶碗の定義って何だろと今とても解らない。
・まつむしのりんともいはす黒茶碗・・・・
昔の人の数寄だなぁと改めて・・・
・佗びて澄め月侘斉が奈良茶歌 芭蕉
芭蕉も茶を楽しんでいた・・・