日曜日

昨日、日経新聞の書評欄を見て、興味引く本があった。その名も「「自分」から自由になる沈黙入門」http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983106639 東大出身の著者が仏門に入り得た思想であるが、東大を出て、何故、仏門なのか・・・と思ったが、今の世の中、幸せな暮らしをつきつめるとき、穏やかで、自然と共に現世を受け止めて心安らかに自分と向き合って生きる道を模索する時間が仏門であって良いと思う。昨日、NHKラオス世界遺産 を見て思ったが、ラオスのインドからの仏教を今も戒律を護り、お坊さんへの功徳(毎日のお米のお供え)を行っている、おばあちゃんの生活はとても安らかで幸せそうであった。それも毎日の功徳の習慣とし自然をそのままに受け入れる毎日をありがたく感謝して過しているのだ。信心深いのは感謝と同じ意味かもしれない。ラオスでは、地域の仏教のお布施で、幼少の学校を出るまで仏門で修行する小僧さんがいた。仏門を習うと共に、地域のお布施から、学術を学ぶ塾なども行かせてもらっていた。やがて、その小僧が成長をし、学校を出るとき、先生になるも、そのまま仏門に入るも、社会人となるも・・・幼い時の仏教の教えは、きっと社会に役に立つ立派な人間として貢献していくことになろう。そのような、伝統ある立派なラオスの文化に痛み入った。幼い頃の苦労、躾け、社会感は大切だと思った。だから、東大を出て、仏門に入った本人の考えもなんとなく解る。仏門の世界が私達に心の平安をもたらしてくれる時間は大切だし、仏門を出ても、良い習慣は良い経験となって、社会に貢献しうる力になっていくと思う。仏門でなくても、道を究める、和の文化にも仏門に似た教えはある。日本文化、日本仏教は心の平安に必要な道をも提供してくれている。だから、私も道の師を仰ぐとき一期一会のめぐり合わせを期待し、希望している。良い人、悪い人、皆これ教師であるとも思う。今の時代、自分をみつめる時間が得られない今、仏門も1つの人生豊かに考えられる生き方であると思う。日経新聞で紹介された、本の紹介は下記URLで検索できます。http://www.honya-town.co.jp/hst/HTNewspaperReview?isin=4&hiduke_rink=20080702